ガラクタギター博物館
THE JUNK GUITAR MUSEUM MATSUMOTO
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BBS
Fender Japan ST57-65BLK
1983

最初期のカタログ(1982のプレリリース版?)を読むと、その意気込みや拘りがわかります。

「●ストラトだけでも243本のオールドがフェンダーに帰ってきた。  ヴィンテージ・フェンダーを完璧に再現するために、フェンダースタッフはできるだけ多くのオールドを集めました。ストラトだけで243本も里帰りし、当時のエンジニアたちと劇的な再開をしたのです。柚木にぼうだいな資料の中からオリジナルの青写真(図面)を捜し出し、分解したギターと比較しながらそれぞれの特徴をチェック。ストラトで約100ヶ所、テレキャスターで70カ所もの部分が、明確になりました(例えば、初期のストラトのピックガードは一見白の1ピースのようですが、実はh薄いプラスチックを重ねた2ピースだった!ということまでもね)ヴィンテージ・シリーズでは、オールドフェンダーのエッセンスを正確に継承し、随所に再現しました。それは、形だけでなく味わいのあるドライなサウンドや弾き応えや弾きごこちについても、同様です。」

「●なぜヴィンテージ・シリーズのギターとベースは57年モデルなのか、62年モデルなのか。  ごぞんじのようにテレキャスター(ブロードキャスター)は1948年に発表されました。ストラトは54年ですし、プレシジョンベースは51年(スプリットピックアップモデルは1954年)ジャズベースは1959年です。でも、ヴィンテージ・シリーズでは57年と62年モデルです。巷の噂にdてくるような、57年と62年のモデルが一番程度が良いから。ではありません。もっとアメリカ的な発想なのです。 アメリカ人を対象にした意識調査の中で、「あなたにとって50年代、60年代それぞれ一番良かった年は?」という質問がありました。結果は、50年代は1957年、60年代は1962年が最良の年であったと答えた人が圧倒的でした。 ロカビリーがはやり始めた57年、ビートルズがデビューした62年、どちらもフェンダーにとって忘れえぬ年です。メモリアルイヤーとして、ヴィンテージの品番に採用しました。

バラしてみると、ジョイントのキャビティにACのランク付け(A115B85だと思われる)がスタンプされており、これはCとなっているので、ボディ材の選定からもランク付けがちゃんとされていることがわかる。しかし、この個体を見る限り、木材の目合わせが素晴らしく、どこで接着しているのかわからないほどである。手抜きなし。
ネックエンドには鉛筆で製造年月日が記入されているのが当時の特徴。これでフェンダージャパン発足の翌年330日製造のものとわかる(3-30が月日)。塗装の下なので、実際に組み上げられたのはもう少し後でしょうけど。 裏のY,41が何を意味するのかは不明。

塗装は極薄のポリエステル。P.U.はグレーのボビン(フラートン製)。赤いボビンの付いたものもあるようだ。
上級グレードはPOTSW、類までU.S.A.製となる。
ごく一般的なDM-30という国産SWDM-50というのがついたのもあるようだ。U.S.A.のものはU.S.A.の刻印がある。
ジョイントプレートには言わずと知れた“JV”シリアルがある。
MADE IN JAPANの印字がヘッドにあるのも最初期の特徴。後にネック下(ジョイントの上)に移される。

ST’57-65のスペックは Body=ソリッド・アルダーボディ、Neck=1ピース・ハードメイプルネック、Fretboard=メイプル指板、Pickup=ヴィンテージPU×3(U.S.A.)、Pickguard=1ピース・ホワイト、Controls=リード/ミドル/リズム、Finish=ポリエステル仕上げ、Color=T/BLK/VWH/CAR/CBL/SBL/LPB/FRD

1983 Fender Japan ST’57-65 BLK

1983年製 Fender Japan ST’57-65 ストラトキャスター フェンダージャパン最初期の特徴を備えた個体。
最初のラインナップはストラトキャスターの場合6種類で、メイプルネックの’57モデル3種(ST’57-115, ST’57-85, ST’57-65)、ローズ指板の’62モデル3種(ST’62-115, ST’62-85, ST’62-65)であった。
ハイグレード・モデルになるとピックガード、ヴォリュームポット、SWなどのアセンブリがUSA製となり、ブリッジのブロックが鉄製に、そしてラッカー・フィニッシュとなる。 この当時のものはシリーズ全てにU.S.Aピックアップが奢られているのが嬉しいところである。

元々、Greco Super Realシリーズとして用意されたギターがそのままブランドをつけ替えてFenderオフィシャルの製品としてNAMMショウで展示され、大絶賛を受けた経緯があります。すでにそこまでのコピー技術があったのです。まさにフジゲンの技術なくしてはできなかった偉業でした。

フェンダージャパンが1982年フジゲンでスタートした経緯は、「フジゲン70年代の軌跡」をご覧ください。