THE JUNK GUITAR MUSEUM MATSUMOTO
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EG600PR
1978

P.U.を外せば・・ネックはダボ式。 

←25902のスタンプ。1975年9月2日を意味する。
U-1000(ウルトラセン)は最初、日伸音波で作られた
渾身の策である。

P.U.はU-1000。これも成毛氏が開発に関わったとされています。 カヴァーはセミ・オープンタイプで、真鍮?
金色の合金であることがわかります。
現物で知る限りこのタイプのは79年頃までのEGには採用されていました。
ボディトップを叩くとポコンと安っぽい音がする中空ボディですが、実際のサウンドはホロウ効果と相まって
なかなか魅力的な音がします。
やや軽快な甘いサウンド・・・特にフロント側にしてみるとホロウの響きが
ソリッドには無いこのギター独特の艶を生み出しているのが良くわかります。
 
ボディセンターはツギハキマホガニーのパンケーキ構造で(あえてバックとはいいません)バックに化粧板が貼られています。
当時のEGの特徴でもあるバックコンターは、ツギハギ化粧板とうことがモロに露呈します(笑)。
背面サンバースト塗装は成毛氏が制作にあたり資料として渡した
レスポールの表側写真しかなかったために、
クラフトマンが想像で塗ってしまったが、いたく気に入られてそのままになったといういわくつき。79年頃までみられます。
 
ネックやヘッドの大きさ、ポジションマークはもう・・カスタムの仕様(バインディングが無いくらい)。スタンダードとカスタムが
混ざったギターになっちゃってます。
おそらく最初はLPカスタムしかコピーしていなかったことと関係していると思われます。 
指板は、カタログではローズだが、ちょっと目が粗いけど縞エボニー?やっぱローズかな・・・とても良質。
なんと75年のカタログでは下位モデルまでエボニーを採用しており、材が豊富にあった時代を物語ります。

3ピース構造のメイプルネックはボリュートのためとても丈夫そうです。ここで折れたものをあまり見たことがありません。
フレットは細身でフラット、オーバーバインディングとなっている。 ナロータイプのネックグリップは現代の速弾きの方にも
なじみやすい感じです。
セットネックなのは650まで、550以下はデタッチャブルネックとなっていたが、年を重ねるごとに完成度が上がっていき、
1977年には下位モデルまで
全てがセットネックにグレードアップしている。
 
興味のない人には、ごちゃまぜでオリジナルに忠実でないこのギターは「なんだこりゃ?」となるでしょう。最近の中国製の
方がある意味忠実です。
でも懐かしく思える人には貴重な時代の生き証人なのかも・・・。
すでに35年は経過したこんなギターが、まだリサイクルショップに出てくるのでたまりません♪(ま、これは店頭に出る前に
安く押さえちゃったわけですが(笑))
 
 
 
(参考HP Dr.Siegel's Archives)こちらに当時のエピソードが満載です。
http://www.ne.jp/asahi/chelseas/terrace/DSA/greco.html
 
細部を見てみると、カタログではメイプルとなっているボディですが、いわゆる中空のセミホロウ・ボディである。
(上級機はメイプル単板削り出しの表記)
冷静に考えて、安いモデルが中空、上級機が単板(解釈は接ぎがあっても単板なのですが)をウリにするなんて
ちょっと滑稽な話ではあります。
良くも悪くも、これが当時の知識と技術の結晶?のなごりなわけですが、どうみてもシカモアの合板です(笑) 
ベニヤでは十分なアーチが整形できないので
ノッペリとしたアーチですが、それはみごとなフレイムが目を惹きます。 
このカラーは、カタログではレッドサンバーストとなっています。
因みに、1975年当時のカタログ中のソリッドモデルでは、フレイムメイプルなんてまだ使われていません。
1975年製としたのは、グレコのシリアルNoが入るようになったのは1975年からで(当時の関係者の証言もあり)、当機には入っていない。
ただ、ロゴの仕様などがグネコロゴ、グレコ(rに輪っか付ロゴ)とは違い、以降長らく使われる細身のイタリック書体になっていることから、
過渡期だったのではないかと推測する。(私はこのロゴが一番好きです) まあ、カタログ以外のモデルがザラにある業界なので深く考えないでおきます。
手持ちの1975〜1976カタログのEG650S写真ではカスタムネック+カスタムヘッドにグネコロゴとなっている。
参考までに、同じカタログからEGのヘッドだけピックアップしてみるとこのようにバラバラな状態になっています。写真だけ使いまわしている
せいもあるのでしょうけど・・・新旧ブランドロゴが一つの資料に3つもごちゃまぜになっているなんて今では考えられません(笑)

EG700までは成毛氏が開発に関わっていているようですが、どれも成毛モデルとはいいません。
関係のない後発のEG800に付けられた成毛モデルという名は、神田商会の思惑で勝手につけられたようです。 
確か、成毛氏は本家Gibsonのネックが自身の手に合わないため、要望を取り入れながら細身のネックにしており
それらが監修モデルには踏襲されていたはず。それが本人とは関係のないEG800は一般的な太さに戻されてしまったようだ。
本人が知らないのに**モデル(今で言うシグネチャーモデル)と付けちゃうなんて、これまた今では考えられませんね。
グレコ EG650S 1975年製 (レッドサンバースト)
1971年〜黎明期の終わりとでも言おうか・・・まだまだ見た目も構造も中途半端なコピーモデルがラインナップされている中のうちの
中堅クラス。
(カラー・バリエーションはサンバーストとレッドサンバーストの2種。他にカスタムでブラック仕様のEG650BとレフティのEG650Rがある)

そしてお馴染みセミホロウ・ボディ。 上位機種はソリッドです。

サイドまでサンバースト・カラーなのがグレコオリジナル! 華やかな印象です。

ラージヘッドにブロックポジション。後ろはボリュートになっている。

1975年といえばオリジナルモデル『MR』の発売など、新たなステップアップを見せ始めたグレコであるが、実際はほとんどが
コピーモデルで占められている。
1971年当時の為替相場で1ドル350円台、1975年でも300円台だったことを考えれば、一般庶民でまだまだ本家
Gibsonを簡単に買える人は
少なかった思われます。(1971年:ビール140円 大卒初任給4万円台 
1975年:ビール180円、大卒初任給9万の時代)
成毛滋氏監修のもとEG360に始まった本格的なグレコ・レスポール・コピー(EG)は、そういった時代背景もあって爆発的に
ヒットしたことは周知のとおり。
中空ホロウボディにデタッチャブルネックという、今考えればお粗末なコピーでも当時のキッズ達には
それが手に入るという喜びがカヴァーして
余りあることだったに違いありません。 そしてなにより、当時の本家Gibsonよりも良い音で
鳴るという事実が富士弦楽器の技術力を知らしめることになりました。
 
余談になりますが、1972年、レッド・ツェッペリン来日公演の際、ジミー・ペイジ本人にEGを手渡すという暴挙?(笑)に出ましたが
「No use Greco」という曲を演奏されたというちょっと不名誉なこともあったようです・・・(手渡している写真と音源が残されています)。
おそらくEGは使われなかったでしょう。 おそらくは神田の関係者が今をときめくジミー・ペイジが使って褒めてくれれば、さらに
Grecoの知名度が上がると考えたのでしょうかね(笑)