ガラクタギター博物館
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Ibanez Les Paul Deluxe
1970's

1970’s Ibanez Les Paul Deluxe  シリアル1066850

1970年代初頭と思しき完成度の低いレスポール・コピーモデル。

Ibanezのレスポール・コピーといえば誰もが富士弦楽器製のものを思い浮かべるのだが、現存するIbanezの資料のどれにも当てはまらない不思議なギターだ。

これは某リサイクルショップの店長にいただいたもので、あまりにもボロいため長い間放っておいたものだが、以前からこれはグレコとはあまりにも似ていないためマツモクじゃないか?という思いがあり分解掃除して調査してみることにしました。



ボディは薄い。一見マホガニーに見えるがおそらくラワン。但しソリッドだ。ネックは良く分からない材質。
合板トップの中空ボディは富士弦楽器も同じだがバックの材や構造が違う。 

まず、カタログで分かる範囲では、Ibanez1970年代のコピーモデルは、1975年ごろまで当時のGrecoのラインナップのロゴを差し替えたものがいくつも見受けられたのは周知の事実。

年代を特定するには、その当時のカタログからおおよその年代を判断するか、シリアルナンバーなどから推測できるものだがこれは何か違う。一番似通っている時代のものは、まだ富士弦楽器、Ibanezがレスポール・コピーを出し始めたGreco1971年モデルとも違うしIbanez1971年モデルとも違う。ヘッドにDeluxeと入ったモデルはもっと後年のDeluxe59と入ったモデルしかないはずだ。

細かいところではヘッド形状やトラスロッド・カバー、ポジションマーク、ネックエンドの形状、ノブの形状などなど・・・全部違う。
一番おかしいぞ?と思ったのはジョイント・プレートとP.U.のとめ方。
ジョイント・プレートは1970年代のマツモクのギターに使われていたものと同じなのです。
そしてP.U.3点止めは私の知る限り富士弦楽器では80年代になるまで無かったはず。

やはりこれはマツモクでIbanezを作っていたということではないのか?!

そんな話は聞いたことがない。そこでマツモクに当時在籍されていた元開発のH. Noble氏に写真を見ていただいても、マツモクでIbanezをやった記憶がないと言う。 昔からよくあったOEM生産ということは?とも思い富士弦楽器の元開発の方に聞いてみてもそれはなさそうだった。

ではこれはなんだろう?

 

マツモクでいつからレスポール・コピーモデルを作り始めたのかはあまり語られていないのですが、実は60年代後半?からあり、UNIVOXのブランドでH. Noble氏が写真から型を起こして製作していました。後から本物をみてほとんど同じだったと証言してくれました。
これがその試作品UNIVOX。 H.Noble氏 蔵

 

ジョイント・プレートは、おなじみの「STEEL ADJUSTABLE NECK MADE IN JAPAN」続いて1066850のシリアルナンバー。 ウチにある1976年製Westminster L390Nと全く同じ。付け替えたような痕跡は見当たらない。 ただ一つ、1976年製L390NAから始まるシリアルなのに対し、こちらは1から始まっている。

1970年代のシリアルの読み方のセオリーではグレコ同様にA1月、次の2桁が年号の下2桁をあらわしているとみて間違いないと思うのだが、1というのは? 最初これが年号の下1桁なら1971年?とも思った理由はそこ。(実は違った)

 

P.U.は日本のハムバッカーの歴史を物語る上で欠かせない なんちゃってハム(笑)

片側だけしかコイルが入っていないようです。磁性体を近づけてみると片側にだけ吸い寄せられます。

音は聞いていませんがハムに見えてさぞキレの良い音がするのでしょう。

 

Westminsterのカタログにないか調べたところに良く似たモデルがあることを発見。EG250がそれだ。

ポジションマークとネックエンドの指板形状を除いてボディ、P.U.3点止め、ノブが合致する。

ヘッドやトラスロッド・カバーも同じように見える。

残念ながら、当時のカタログはデタッチャブルを見せないためか()裏面を載せることはまずないためジョイントは分からないが、所有する1976Westminsterから同じであったことは想像がつく。

 

 

そこで、強力な助っ人が登場! 1970年代にマツモクに勤めていた親戚から譲り受けたIbanezと思しき謎のギターを持っているというO氏が現物を見せてくれるということになり、ついでに1967年製のマツモク製ビザールも持ってきていただいた。

私も、同じく1967年製のマツモク製を昨年入手していたので、すべてを検証してみることにした。

 

その謎のギターとは、Ibanez2405と思われるレスポール。豪華なインレイを施し、ヘッドストックがマンドリンをモチーフとしたモデルだ。
下部に入るインレイ(貼り)はパーツはそっくりなものの、貼り方が富士弦楽器製とは若干違っている。

リア・ピックップザグリにG50-138イエローブラウンシェッド 天クロとマジックで書かれている。

なぜかブランド・ロゴは入っていないまま塗装されており意味深な感じがする。

 

オフィシャルで確認できる最古のIbanez24051974年のカタログからで、入手したのは1970年代後半とのこと。ワケアリの処分の対象と考えれば納得がいく年式。何よりも驚きなのはこれがマツモクで作られたのが間違いないということ。知る限りでは富士弦楽器製以外はあり得ないモデルだからだ。


 

 

私の推測としては、ザグリや内部構造など、当時の量産用の切削機械を使っていれば必然的に同じになるのでは?と、まず双方を分解して比較してみたところ・・・P.U.ザグリが100パーセント一致した!

3点止めのために片側が広いカットとなっている。ザグリから見える内部構造や、切削した刃物の跡など、かなり似ていると判断できる。
ボディも合板トップの中空構造。
2405なら本来はIbanez刻印のP.U.がついているはずだがオリジナル状態のフロントは違っている。3点止めがDeluxeとは共通。

決め手は裏面のコントロール・キャビティ。 パーツ欠品のためこの2405に不自然なカバーがついていたのではずしたところ小ぶりなキャビティが出現。内部の形状も謎のレスポールと一致した。ためしにカバーをつけてみたが当たり前ですがピッタリ!
同じ工作機械で製造していると言える。

ネットで検索すると富士弦楽器製のザグリはひし形の形状に尖った大き目のもの。これは初期グレコEGのものと同じで、この2本とは全く違う。

そしてお気づきだろうか?フロントキャビティから見えるネック・ジョイント。そうです、マツモクが後にPEなどでもやっていた内側ネジ止めセットネック方式です。

このジョイント・プレートと、ネック・ジョイントの写真を元富士弦楽器開発のS氏に見ていただいたところ、「フジゲンでこのジョイントは絶対あり得ない。デタッチャブルのプレートもマツモクのだ」という証言をいただいた。

 

もうこれで疑う余地がなくなった。やはりマツモクでIbanezのギターを作っていたのは間違いない。

 

そこで、1960年代のマツモク製ギターもみてみることにした。

Arai Diamond 1402T
片方はArai Diamond 1202T

なんと1402Tにはオリジナルの設計図(青焼き)も揃っており、図面にはRAG11-2TdWと機種名がなっている。 O氏はこのギターを松本では有名な?質屋のかがりで購入したとのこと。図面は全く違うルートで元マツモクの従業員の方から入手したというから驚きだ。
どちらも1965〜1967年頃の荒井貿易/マツモクの代表作と言ってもいいでしょう。



 

比較してみたのはジョイント・プレート

1960年代のプレートは1970年代のものと一見よく似ているがよく読むと違うのです。「STEEL REINFOCED NECK MADE IN JAPAN

続くシリアルが1402T21409231202T2114614となっている。

そうです!1960年代はアルファベット表記から始まらず、数字のみ、おそらく通し番号だけのシリアルでした。

 

これでシリアルの謎が解けた気がします。推測ではありますが、おそらくSTEEL REINFOCEDが途中からSTEEL ADJUSTABLE刻印のものに移行し、しばらくは通し番号で、このレスポールはその時のプレートが使われた可能性があるのではないか。
おそらく金属パーツの製造は信越鋲螺とみていいだろう。

富士弦楽器のシリアル化がスタートしたのは1975年の途中からで、すでにOEM生産をしていたから、それに合わせる形でマツモクもアルファベット+年号+通し番号に変わったのではないかな。


もう一つ、ノブがArai Diamond1202T完全一致しました。
ノブはUNIVOXとも一致しており、汎用品といえなくもないが今のところマツモク製ギターのみしか見ていない。
やはり1960年代後半のパーツであることがはっきりした。

 

話を戻しますが、肝心ななぜマツモクで作ったIbanezがあるのに実際は商品化されなかったのか?

それはある方から興味深い証言をいただきました。

 

当時に限らず、ギター工場が勝手にコピーを作ってそのメーカーに売込みすることは良くあったことだそうです。(例えば中信楽器がフェンダーUSAに持ち込んだ例とか)

メーカーからすれば生産工場を画策するのはごく当たり前の話。もしかしたら当事星野からの接触もあったのかもしれませんがそれは今となってはわかりません。
ただ、一般的には1970年から星野と富士弦楽器と関係が出来あがった(当方の当方の見解では1960年代終わりから)と言われており、同時期、マツモクにもコンタクトがあったとみるのも自然かと思うのです。

メーカー、工場どちらが持ちかけた話かは推測の域を出ませんが、いずれにせよマツモクでのIbanezはいくつかの試作だけの単発で終わったと見るのが正しいような気がします。

それが、関係者から別々の形で回って40年後の今も松本にある。

このレスポールはオンボロで貴重というものでもありませんが、調べてみることで少なからず松本産のギターから当事の事情やらロマンを感じることが出来たのでした。






2015.3/28  ******無断転載禁止****** 
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