第二部 松本GUITARS 【Ibanez & Greco 開発こぼれ話】
このウェブサイトを立ち上げたのが2008年3月 2025年で17年となります
地元ギター産業の歴史を調査して残しておきたいという思いから始まり、最初は自分の思い出と知識くらいしか語るものはなかったのですが、情熱と不思議なご縁によって気が付いてみれば数多くの関係者の方々とお会いし、お話を聞くことができました
創業者、関係者の皆様のご協力によって多くの歴史を掘り起こし残すことができました
その方々も当時70代~80代 すでに90歳を超えるか他界され 本当にギリギリのタイミングだったと思います
その中で、フリークたちが知りたがった製品開発エピソード、製品、パーツの仕様スペックなど すべて網羅することは困難ですが ご健在の方々の証言を拾い集めた古いインタビュー、新たにお聞きできたことなど 未公開のものや2025年に新たにお聞きしたことを掲載します
(ごく一部のモデルや試作品についてとなります)
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(元星野楽器 加藤氏が関わったモデルなどについて)
前のコーナーで登場いただいた加藤氏にIbanezのギターについてお聞きしました
加藤氏はプロアマ問わず当時のギターフリークが憧れたモデルを星野在籍時に企画デザインされています
元々 アメリカを主として海外のマーケットを開拓した星野楽器 富士弦楽器を製造元とした1970年代前半のオールドロゴ期はコピーモデルが主流だったが、音楽業界で第一線のミュージシャンから得たものを製品にフィードバックしたオリジナルモデルは内外からも高く評価されてきた
加藤:1976年からの新しいモデルのデザインは私が手がけました MC、CN、PF、IC、FA、GB、PS10、ST、RS、AS等(Starfield以外)
PL650から始まったグースピークヘッドは、元はアイスマン(これも私です)の3×3連を6連にするのにグースピークヘッドとバナナヘッドタイプにするか2者択一で現在のデザインにしました
写真のJeff Hasserberger氏は1970~1980年代のHoshino
USAでのR&D、Advertising、Artist Relation等を担っており 当時のIbanezの発展に大いに貢献した重要な人物です
Jeff
Hasserberger氏



(フジゲン・神田商会・星野楽器 合同企画について)
加藤: フジゲン・神田商会・星野楽器の3社での合同企画はIcemanのみでデザインは星野楽器でした
*共同制作されたアイスマン(Ibanez2663は1975年発売)=ミラージュは1978年に発表された(1975楽器フェアのためにオーダーメイドシステムで各販売店がオーダーした中にグレコ版Icemanがあった)
*1977年、Ibanezが国内販売を始め(記憶では神田商会が最初代理店だった)コピーモデルから完全にオリジナルモデルに主力が移行 ポールスタンレイ・モデルは最初IC1100の名称だった

加藤: GrecoのGO、GOⅡはグレコのオリジナルデザインだと思いますがGOⅢのものはTree of Lifeもボディデザインも天神やブリッジ、コントロールを除いてIbanezデザインです
Pick Up Coverなどは当時、共同での開発でした(Super88=PU-3D)
よく雑誌では「GrecoとIbanezは兄弟!」と宣伝されていましたが、私たちとしては「親父が違う」と思っていました
神田商会の斉藤さんと亡くなった沢田さんとは懇意にしておりました
*富士弦楽器=母 神田商会Greco=父 星野楽器Ibanez=父
*GOⅢデザインは星野のデザイン説が浮上!1977年のArtist2617~2622(後のAR)をルーツとする2700、2710と共通ボディなのは明らかで発売年はGOⅢより早く1977年のカタログに掲載されている GRECO GOⅢのデビューは1980年だった
*(神田側のデザインが採用された例) 1976年のカタログ掲載のNo.2683は神田商会 奈良氏のデザインのMRをチューンOマチックに変えたモデル 日本では5年のロングセラーだったが海外では短命に終わった



197 楽器の本より

(Ibanez ARシリーズについて)
1976年に登場したロングセラーモデル(ARとなったのは1979年)多くの国内外ギタリストに愛された
加藤: AR Seriesのデザインは無論、星野楽器独自のものです 星野楽器の芳輝専務がデザインしたと推測します
*1973年のARTIST
SERIES No.2611 2612 1613 2614がARのデザインのルーツ(デタッチャブル)2617 2618 2619で最終デザインになり 1979年からARの名称となる


(Ibanez AR NAMM SHOWモデルについて)
ボディに鳳凰の螺鈿細工が施されたAR8000とオールブラス製のNAMMショウ用モデルはFritz加藤氏が関わっているそうです
螺鈿細工のAR8000は富士弦楽器の鈴木渥美氏が製作したとTAD館長が関係者から聞いている
フジゲンの1988会社案内にも掲載されたが実際にAR8000が販売された形跡はない
加藤氏によると 企画した本人なのに名前をTAD館長から聞いて初めて知ったそうです(笑)




(AR Brass Guitar NAMM SHOWモデル)
加藤: 1978年のNAMM
SHOWに出品されたギターで発案は星野楽器とHoshino USAとの冗談からスタートした企画で 重量は約30kgありました
岐阜の日興精機の井戸氏と製作に関わった いろいろ面白いことが出来た時代でした
何年前か・・e-bayで売られていましたね($20,000-) NAMM Show後に主要なHoshino USAの小売店に渡ったものが後年に売られたようです 現在YouTubeでも動画を見ることができます








(Joe Walsh ARプロトタイプ)
加藤: Brass Guitarの後ろの1PUのArtist Modelは多分Joe Walsh用に製作したものの可能性があります
Joe Walshには試作品だけだった様な気がします。TopはMapleで rear pick
upのみでSun Burst Colorでした。写真を探しましたが見つかりませんでした。以後見つかりましたら送ります。
EaglesのDon
HenryがTama Drumのエンドーサーだった所からJoe
とのコンタクトが出来た結果だったと思います。

(Ibanez JEMについて)
加藤: 生産設計は私がやりましたが本人との交渉は別の人でした Lions
Clawの加工設計はフジゲンと相談してけっこう難儀をした記憶があります
*最初のデザインは星野USAから大量のFAXが届き、そこから当時富士弦楽器の開発 杉本氏が試作をしたと語っていました(今でもSugi
Guitarsの応接の壁に当時のFAXが貼られています)
(PS-10について)
加藤: PS-10のTailpiece飾りに関しては、幾つかのデザインをし、それの中からの選定で決定した記憶があります。そのデザインがPaulからだったのかは定かではありません。
細かな最終仕様に関してはHOSHINO USAとのやり取りの中で決定したものと記憶しております。


(1/2 PS-10NAMM
SHOWモデル)
加藤: KISS のPaul
Stanleyの人形とギターの1/2サイズを展示したことがあり、ギターはフジゲンさんで作成した記憶があります 金属部品等も1/2サイズで特にブリッジには苦労しました



(その他ミュージシャン;モデル)
加藤: リトナーモデルは、F-holeのハウリング防止のPlastic CoverはLAのJohn
Currthersの指導の元でした。
また、Joe Pass Modelも手掛けておりました。Joeとの彼のNothriidgeの自宅での写真です。寿司にワサビを多くつけて食べるのが好きな人でした。
Lukather Modelにも携わってました。写真は名古屋の貞宝カントリーでのLive時のものです。
Allan Holdsworth Model作成時にはアルダーボディ材を一枚一枚指で叩いて仕分けをした記憶があります





(2670,2680,
2681 Bob Weire Model)
加藤: 元はRex Boughでした 2680を苦労して合体させて完成した記憶があります
オフコースの松尾君がこのArtist Customが欲しいって言ってましたね 表裏にインレイが入ってました 今はどこにあるんでしょうか 私の在籍中には放出されてなかったと思います そういえばベーシストにモニターした特注のMC Bassがどこかで売られていました












(JEM, JS, PGMシリーズ)
加藤: 基本的には直接的なかかわりはありませんでしたが製造の指揮をとりました
VAIの設計図はすべて私で、杉本君とはとくやりあいました 特にFlower Pattern Model(FP)では私は試作のみと言ったが、結果見事に量産化できました 杉本君を騙し騙し試作まで持って行った経緯があります
FPの布生地は当初、私自身がパターン配置を決めてフジゲンに供給していました
*JEMはTAD館長が2008年にフジゲン大町工場で大量に最終検品待ち状態だったのを思い出します
*JEM77 FP2は2013年ごろTAD館長自身フジゲン大町工場に行ったときにフラワーパターンの布地をテンプレートで抜いていた素材を見ています 当時塩尻市にあった塗装工場では貼って塗装したFP2のボディを乾燥していました
7弦ギターはVAIがポピュラーにしたことは間違いないと思いますが、それ以前に存在していました
複雑な話になりますが ロスアンジェルスにJhon Curattersというリペアショップがあり、以前に誰かと7弦ギターについての開発に関与していたことがあり、その情報が洩れた云々・・がありました
7弦のトレモロを型代を投資して本格的に量産化するにあたって私自身は「市場に7弦トレモロを販売して市場を成長させるべき」との意見でしたが・・その後の7弦マーケットはご存じのとおりです
Tonny Baconからインタビューを受けたことがあり、JEM777を持っている人物はMace Baileyで私もフィラデルフィアで一緒に仕事をしたことがあり」ます その後彼はLAに移動してJEMの試作品(写真)やハート(3本ネック)ギター、Paul Gilbertの試作品も彼の作品です


JEMのマーブルカラーはUSAのダレンとかいう工房で材料費を送ってカラーリング後、日本に送りなおして組み立てました 日本でも墨流しという同じ技法があります(JEMマーブルカラーは日本では未発売)


(Joe Satriani Chrome Guitar)
Joe Satrianiに渡ったChrome Guitarはフジゲンの今福さんと非常に苦労しました
すでに注文が入っていましたが結果的に全部キャンセルとなりました
10本程度の試作品を長野県の駒ヶ根にあるメッキ橋上に依頼しましたが、2~3本がなんとか使える程度でその他は全部不良 メッキは通常のメッキ方法で水溶液にどぶ漬けするのでいくら防水塗料で下地処理しても無理がありました その2~3本のうちの1本はJoeに渡りました もう1本はドイツの小売店に
第二弾で作られたChrome Guitarは材料が木材ではなく合成プラスチックでしたが、私が退職した後のことです 杉本君から聞いた話ではバフがけ時に静電気が起きて苦労したようです

(原山ギターのネックについて聞いてみた)
原山さんのネックは極上であることは知っています 一時期、飯田楽器にいた頃にアーニーボールのVH Guitarを作っていた時のネックが原山ギター製でした
*原山ギターについては 松本GUITARS「原山ギター製作所」を参照 ESP、KRAMERなどの木部・ネック製造拠点 フジゲン マウモクの製造委託先でもある Ibanezのネックも製造していた

(トレモロ設計)
武内製作所の武内社長は非常に難しく強力な個性の人で、一般的なお付き合いは難しい人でしたが、私も技術屋でかなり偏屈なところがあったようでお互いウマがあってました
飯田楽器ではCaparisonは月産数十本 星野楽器のArtfieldもOEMしていました
私の認識としては星野楽器はいわゆる別世界のようで、グレーがかった楽器業界からは異端児扱いでした
星野楽器退職後に飯田楽器へ行きましたが、外から見ると星野楽器は独特でした そんなことで飯田楽器内でも異端児でした 本来異常なのは業界の方なんですけどね それぞれにいろいろな歴史があっての現在です
(謎のIbanez Les Paul Deluxe)
TAD館長が昔ハードオフでもらった 謎のおんぼろレスポールについて聞いてみました なぜかというと、1970年代初期は富士弦楽器のGrecoのEGそのままでブランドロゴ無ししかカタログ上はなく、キャビティ、パーツなどがマツモク製LPに酷似していたからです
加藤: 見た事が無いモデルですね
一時期豊科テスコ(テスコ弦楽器 1968年倒産)との取引もあった様ですのでそこかもしれませんが、その時代にはLes Paulは作ってなかったのではと思います。
糸巻きもプレスですし天神の形状も違和感がありますね。
一時期尾張旭の多摩工場でもエレキギターを制作してましたがLes
Paulの様なハイカラモデルは作っておりませんでした。
マツモクさんとは結果的に取引もコンタクトも無かった様に思います。私もまだ駆け出しの頃で、政治的な背景は全く無知でしたので試作品などは有ったかも知れません。
*結局素性はわかりませんでしたが、TAD館長の考察では1970年代初期のマツモクLPの特徴(ザグリ形状、ジョイントプレートなど)が合致しており謎の多いギターです


1968年とされる左のリッケンバッカー風はGrecoかテスコ弦楽器(Honey)と思われる
隣のストラト風は1970 No.2020 どこの製造か不明
中央のストラトは1971 No.1910 これも富士弦楽器とは思えない造形
右は1971 No.1910YAMAHAのセミアコに類似しているのでYAMAHA製?
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フジゲン高山氏へのインタビュー(2012年にお話を伺った資料より)
(ピックアップ U-1000とU-2000の違い)
高山: 品番については、神田商会にて決めました。・・・奈良さんが知っていると思います。
U-1000: マグネット/フェライト、巻き数/4800T
U-2000: マグネット/アルニコ5、巻き数/5000T と記憶している。
(牛丸氏の証言によると)
U-1000 フェライトマグネット 4800T
U-2000 アルニコ5 5000T
U-3000 U-4000 アレンビックのマグネット →加藤氏の資料からアルニコ8だったかも?
(グレコ☆マークについて)
70年代中盤頃の個体には最終フレットの指板上に☆を○で囲んだマークが刻印された物があります
これは何を意味するのでしょうか(B級品とか何らかの訳あり品だという説があります)
高山: その通りB級品です・・・転売されてクレーム等発生した場合確認出来る様に
(ディープジョイントについて)
セットネックのギターにおいて、1975年製のMRではいわゆるディープ・ジョイントを採用しています
ギブソン系コピーモデルに採用されたのは後年で、もっと早い時期に採用しなかったのは何故ですか
高山: その頃、弊社ではまだディープジョイントと言う名称は有りませんでした、MRはBODY形状がダブルカッタウェイで、NECKとBODYの接合部(接着部分)が少ない為、強度的に設計上この様にしました。
(ジョイントのダボについて)
70年代半ばのセットネックはフロントのピックアップ・キャビティーからヘッド方向に向かって丸い木のダボが2本差し込まれていますがこれにはどういう意図があったのでしょうか。
高山: 当時、NECKとBODYとの剥がれ(接着不良)と言う問題が発生しました。そこで強度を上げる為この様な構造にしました。それ以来剥がれ問題は解決しました。
現在は、加工精度また接着剤も開発され、この様な事は行なっていません。


(マツモクとの振り分け)
70年代のグレコにはフジゲン製とマツモク製が同時に存在する時期がありますが何を基準に振り分けていたのでしょうか?ビギナー~ミドルクラスの製品は主にマツモク(フジゲン製もありますが)、上級クラスの製品はほぼフジゲンという傾向が見られます
高山: 当時、マツモクと富士弦楽器との取引に私も関わっていましたが、記憶では生産ロットの多いモデルを優先的にお願いしていました。 また、言われます様に価格帯でも分けていたと記憶しています。
(オーダー・メイド品に関して)
一般ユーザーからのオーダーの場合、基本的には1本だけ製作する事になると思いますが、複数のクラフトマンで作業を分担したのか、それとも最初から完成まで一人の人が受け持ったのでしょうか
高山: ギター製作は、大きく工程を分けて、木部加工工程/塗装工程/組み立て工程ですが、当時のオーダーメイド゙製作人員状況によって異なりましたが、3工程に分散していた場合も有りましたし、木工加工組み立て作業を同時担当し塗装は別の担当者が作業した場合も有りました。3工程を一人の担当者が作業した事は有りません。
(バダスブリッジについて)
MRのブリッジをバダスにしたのは、当時神田が独占販売権を持っていて国内にバダスを告知、普及させたかったからだろうとおっしゃっていましたが実際にはBR2020というオリジナルブリッジが搭載されました。ミック本人に渡した個体もバダスそのものではなかったようです。
バダスをモチーフにして、中央にも支点を追加して3点支持にしていますがこれはどういう経緯で開発されたのでしょうか? なぜバダスをそのまま採用しなかったのですか?
高山: バダスは左右2点支持の為、弦を張った時張力によって本体が前に倒れる傾向が有ります。
倒れ防止の為、3点支持にしました。(テンションと調整では有りません)
信越鋲螺にて金型を製作しました。その他記憶に有りません。
*TAD館長が当時、奈良氏にお聞きした時は 奈良氏本人が「ワタシの記憶では高山氏に勧められたような・・名前についてはなんとなくワタシっぽい(笑)」と語っている
(テスコ弦楽器について)
テスコ弦楽器(南豊科)について覚えていることはありますか?
高山: テスコが倒産した当時、私は資材でした。その為テスコの在庫パーツ(糸巻き/ビス類/セル材等)を購入に行った記憶
が有ります。また暫くしてからテスコの役員をしていた清水さんに外注として塗装(清水塗装/島内)をやって頂い
た経緯が有ります。(現在は故人と思います。)テスコ社の事を知りたければ、現在弊社のギター(NECK製作)
外注をしている太田製作所社長または2年ばかり前まで信越鋲螺社にアルバイトとして勤めていた田中さんと
言う方が健在でおります。
(Player誌 リックニールセンにプレゼント)
1977年にプレイヤー公募でリックニールセンにプレゼントしたギター。これは2本作られ、1本はリックに、もう1本はデザインした大木氏に渡されたようです。 なにか作っている時のエピソードはありますか?
高山:ミュージックランド・キー経由にて話が来たと思います。ビンテージギター(東京)の高野さんがご存知かと思います。
(グレコのロゴについて)
グレコロゴは何回も変わりましたが、グネコからグレコにしたのは奈良さんだと聞いています。その他はどういった経緯でしたか?最初60年代が筆記体、グネコ、グレコ、グレコ(O切れ)・・・The Grecoはオーダーとかで適当に使っていたようですね
高山: その通りデザインは、奈良さんです
GOシリーズ(GO、GOⅡ、GOⅢ)の開発
高山: BCリッチのモデルを基本に開発されたMODELです。デザインは奈良さんが行なったと思います。
(1980年発売のGOⅢに関しては1977年のArtist2617~2622(後のAR)ルーツの2700、2710が元になっていると思われる 星野楽器デザインとの加藤氏証言あり)
(GOⅡについて)
GOⅡは初期に生産された個体とその後の個体ではギターの全長が違いますが(初期の方が約2㎝短い)
これは何故でしょうか
高山: 初期のギターは、ハイフレット(セット部分)の演奏性が悪く、セットフレット(NECKとBODYの接合部)を変更した様な記憶が有ります。その為デザイン上変更した物と思います。
GOⅡのノン・トレモロ仕様(テンション・アジャスター・ブリッジ仕様)はなぜ短期間で生産が打ち切られたのでしょうか。
高山: 余り人気(売れなかった)が無かった為と思います。
初期~中期のレスポールモデルなどはなぜマホガニーがツギハギだったのか?入手に苦労していたのか?
高山: 当時は、国産材を主に使用していました。無垢材(輸入)の入手が困難だったと思います。
最初のEGがセミホロウだったいきさつは?
高山: 構造は、Gretsch-Duo Jetに似ています。BODY本体は、ランバーコア材(ラワン/シナ積層合板)に表面はカバ
材の成形合板(アーチ成形)芯材に補強を入れた構造です。経緯は、輸入材の入手困難と思われます。
ショウモデルで豪華インレイのAR5000があります。何か覚えていることはありますか?
高山: 弊社で製作した事は覚えています
同じくショウモデルでオールブラスのARがありました。これの何か覚えていることはありますか?
高山: 弊社で製作した事は覚えています
PS10、GB10について何か覚えているエピソードはありますか?
高山: 弊社で製作した事は覚えています
高山さんの入社当時の思い出はありますか?
私は、入社してまもなく研究開発室に入りました。三才工場にて、ディストーション/ファズ/リズムBOX等のコピーの設計
また製品製作を行っていました。中でも未だに忘れない事は、リズムBOXを輸出した際、クレーム(リズムが合わな
い)が発生し、全て返品になった記憶が有ります。その時知った事は、輸出は船の為赤道を通過する際、船倉
の中は70℃程度温度が上がる様です。リズムBOXのリズムを刻むパーツにダイオードを使用するわけですが、安い
パーツ(当時の品質はこの程度だったかも知れません)を使用した為高温度により破壊された為と分かり、以降
発泡スチロールとベニヤで簡易エージング室を作り24時間エージングして良品のみ出荷しましたが、その時既に遅し受
注は有りませんでした。
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以上 2025年9月 たくさんの方々のご協力で松本で作られたギターやエフェクターのことを少しではありますがここに残すことができました お礼申し上げます
TAD館長
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