第一部 日伸音波製作所ヒストリー(ピックアップからエフェクターへ)
高度経済成長期の1960年 松本市に誕生したギターメーカー 富士弦楽器の歩みと並行するように周辺で部品を製造・調達するメーカーも需要が高まった時代 松本市におけるエレキギター産業の黎明期にひとつのパーツメーカーが誕生した
【日伸音波製作所】 後にエフェクター MAXONブランドで知られるこのメーカーのルーツもギターメーカー同様 創業の頃を知る人も少なくなり、語る人もいません そこで元関係者の方々にインタビューをし、少しでも松本の歴史的遺産として残しておければと思います
構想は十数年前からありましたが2025年の今 ようやく着手することができました
インタビューを進めていくと、ピックアップ以外の興味深い開発秘話もあり、二部構成とします
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2025/8/3 (元)日伸音波製作所 土田恒喜氏にお話をお聞きする機会を得ました
インタビューアー兼証言者として元部長の田村進氏にも同席いただきました


田村氏 土田氏 TAD館長
土田恒喜氏は 昭和21年 1946年6月生まれの78歳
日伸音波製作所入社年は創立と同じ昭和41年5月(1966年創業) 58歳で退職
土田氏は改名してすぐの武蔵工業大学付属信州工業高等学校に入学(改名前は信州電波専門学校→武蔵工業大学付属目黒高等無線学校→信州工業高等学校→東京都市大学塩尻高等学校)
偶然にも、この座談会インタビューのおひとりでもある田村氏とTAD館長も世代は違えど全員同じ高校という偶然!に運命を感じました
土田氏によると1962年当時の信州工業高校は校舎がまだ1棟しかなく、小学校の教室みたいに先生が入れ替わり来て講義するだけで実技もなし、体育もなしという感じだったため、ほどなくしてやめてしまったとのこと
高校に入るころ、従兄弟で電気屋だった手塚氏(*1)が富士弦楽器のギターのボリュームを取り付け、配線をやっており、手塚氏自衛の電気店の片隅で組み立てのアルバイトをした それが後の人生を決めるきっかけとなる
(*1)手塚氏 1960年 富士弦楽器創業の際に牛小屋を改装した牛丸電気の職人 在籍しながら最初にエレキギターのピックアップの解析 製造その他に関わった のちに二葉技音製作所を創業(詳しくはフジゲン創世記を参照)
(創業のルーツとなった二葉技音)
土田: 1962~1963年当時、日伸音波製作所(マクソン)というのはまだなくて、当時は手塚さんが二葉技音という会社でいろんな電気メーカーの下請けをやっていて、ギターが儲かるとやってみたがうまくいかなかった それで1~2年でその会社は終わった
その時は手塚さん、須山さん(現日伸音波社長)、ちょいちょい来ていたおばさん達で そのころから一緒にやっていた
日伸音波製作所という名前は、もともとは二葉技音を立ち上げる時に名前の候補が二つあって、一つが二葉技音、採用しなかったもう一つが日伸音波製作所だった
二葉技音の場所は、今の林友のビルの前に丸十(松本陸送)っていう運送会社があって西五町(現在の深志二丁目)から南に入っていったところ、専売公社の南 そこの一角を借りて電気屋をやりながら二葉技音としてやっていた
二葉技音では、ギターの仕事の時はボリュームをつけたりジャックをつけたり配線をやったり、それだけでは仕事がなかったみたいで豊科高家の電子工業(後の電気音響:アズミ村田製作所)の下請けでハンダ付けなんかもやっていた 梓橋の近くに菅原電機っていうのもあってトランスとか電気部品をやっていたね
ギターだと全音のかな ギターに取り付けたって記憶がないがセミアコタイプのギターだった
最初にやった仕事はDemian(*2)だったのは覚えてる セミアコかな?木の穴のところに手を突っ込んでボリュームのナットを締め付けた 指が青くなるほど押さえて痛くして 何百本もできなかった
正面にパネルのあるやつになってからは楽だったんだよね マイクはここから線を入れて引き出してハンダ付けして取り付ければよかったので
(*2)Demian デミアン 1960年代はじめの富士弦楽器の輸出用オリジナルブランド 初代社長の三村氏がヘルマンヘッセの小説から命名

1960’sデミアン


フロントパネル式アセンブリとピックアップ裏
(日伸音波製作所のはじまり)
土田: 二葉技音で手塚さんがやっていたのは富士弦楽器のフルアコタイプ(輸出用のDemianなど)で手巻のピックアップ
中には鉄板を細く切った鉄芯だったかブロックと紙が挟まっていた (後年、現物を分解してみたところ紙は使い古しのハガキだった 写真参照)
これは私はやってない 3000~4000回巻いてあるでしょ?こういう風に巻くのは非常に難しいよね 巻くトルクがバラバラだとコイルがばらけちゃう
最もポピュラーな汎用シングルピックアップ(白のボビンにクロームカバー)これは黒い四角のタイプもあり中身は同じだった
輸出するって箱も木の箱だったって話は聞いた 3本だったか6本だったか交互に入れて 防湿のために紙を四方向から入れて包んでね




1963?富士弦楽器EJ1を分解 手塚氏と
土田: 二葉技音はギターの製造を1年か2年やったけどうまくいかなくて まだ手塚さんも須山さんも若くて20代そこそこで 次の会社を起こそうとしたけど、どこの銀行も相手にしてくれなくて 信越鋲螺の石曽根さんと大澤さんは遠い親戚だった関係から大澤商店に頼んで出資してもらって 信越鋲螺と日伸音波の株を半分以上持って出資して それで銀行も大澤さんがやるんだったらいいと融資してくれた それで大澤さんが両社の社長になり 信越鋲螺の専務が石曽根さん 日伸音波の専務が須山さんとなった(どちらも後の社長)
マイク(ピックアップ)を本格的にやり始めたのは日伸音波製作所になって2~3年してからじゃないかな
昔は富士弦楽器の仕事が欲しかったんだけど出してもらえなかったんじゃないかな? 思い浮かぶのは全音と富士弦楽器 アリアってのは記憶がある
日伸音波製作所になってからのシングルコイル(汎用)はやった覚えがある
*写真は初期富士弦楽器に搭載された日伸音波ピックアップのギター 木曽鈴木バイオリンもある




(故)奈良史樹氏と 木曽鈴木バイオリン製Jaguar 1968




最もマクソンで作られた1960年代のピックアプかもしれない
横内祐一郎会長(当時)とMAXONピックアップ搭載Demian
日伸音波製作所の場所は最初 島内駅から少し南南西に行った、今の西友の西のところの借家の社屋が最初
島内駅の隣には信越鋲螺(*3)があって、今の場所に移ったので日伸音波も広げたいのでと空いたそこにエフェクターの製造の方を移し、そのあとに新社屋を建てて今のところになった
信越鋲螺というのは、当初 大澤商店という松本駅前の喫茶店の「アベ」の隣くらいのところで包装資材の事務所があって、そこの事務所の片隅を借りて石曽根さん達がはじめたんかな それがルーツ
松本駅前通りのアベ珈琲あるビル
(金属プレスのパーツ製造)
過去の横内祐一郎氏のインタビューで「富士弦楽器は創業の頃は金属部品は最初、梓橋近くの共立製作所、のちに筑摩小学校東の小松製作所、のちに新関製作所、ゴールドメッキは小画工北の宮本工業所 のちにパーツは信越鋲螺から納入」ということだった
土田: 信越鋲螺は商社だからプレス関係とか金属を加工するところをネジ屋でいろいろ知っているからまとめてこれはここへ、これはここへ出そうということだね
(*3)信越鋲螺 ネジや金属部品の商社 シャボン玉石鹸も扱う 1960年代には富士弦楽器、マツモクなどにギターパーツを納めていた
信越鋲螺株式会社 石曽根 栄 社長 (2014年取材時)
TAD館長がインタビューしたときのお話では
マツモク(SINGER)の金属プレス
トキワ 塚田木工 飯田木工 新関製作所 酒井木工 ミツワ 啓陽 信濃? 古川製作所など取引があった
取り扱いメーカー Sヤイリ、Kヤイリ、全音、新興楽器、テスコ、グヤトーン、カワイ、東海、寺田、モーリス、ESP(間接的に)、ベスタクス(ブリッジ)、フリーダム、ヤマハ、ディバイザー、タカミネ、小平楽器、ミュージックマン名古屋、フェルナンデス、HOSCO、カトー、ギターワークス、モントール、プロビジョン、大和マーク、マルハ楽器、中谷商会などが当時聞き取りできたもの



2015年 フランクを案内 石曽根社長と
(マツモクのピックアップはどこが製造?)
海外のマニアから1970年代のマツモク製UNIVOXのギターについていたというハムバッキングピックアップがマクソン製で詳細を知りたいとの問い合わせがありました
マツモク最初の製造責任者 原山ギター製作所 原山氏の証言によると、1960年代マツモクでの最初の試作品は元テスコの技術者だった疋田さんの創業した啓陽からピックアップを仕入れていたとのことだが、日伸音波製作所のものを使ったのかは記憶がないとのこと ブリッジなどの金属部品は信越鋲螺の石曽根氏から仕入れていたと言っている
1974年に日伸音波製作所に入社した田村進氏によると 「入社したばかりの時、何かわらないけど代わりに行ってきてと、正門を入って突き当たった建物に納品した 多分あの厚さだとピックアップかVT板だったと思う」とのこと 少なくとも1970年代に入ってからは何かの仕入れはあったと思われるが何かは不明
土田氏にもそのハムバッキングピックアップについてお聞きしてみたが、記憶がないとのことだった

そこで元マツモク開発でATLANSIA代表の林信秋氏にもお聞きしてみました
林: マツモクにピックアップを納入していたのは啓陽(当時ミツワサウンド)で疋田さんが社長のころです
私は日伸音波とは取引がありませんでした
林: 写真のmodelは私の若かりし日のものです。カールヘフナーのヴァイオリンbass(ポールBASS)を参考に作ったものと記憶しています
P/Uはカバーデザインのみです。中身はミツワサウンド(啓陽)製です
エコノミーに作るため、妥協の産物で酷い出来です 自慢できるものはなにもありません。
*マツモクのギター黎明期1963年から退職される1977までのことをご存じの林氏の貴重な証言です
マツモクのピックアップは啓陽である可能性が高そうですね
1960年代 ARIA AraiDiamondなどに搭載された林氏デザイン啓陽製造のピックアップはこちら


(MMK刻印のピックアップについて)
林: MMKは松本木工(マツモク)をそのような呼び方をしていました。(作業着にMMKと入っていました)
マツモク以外、松本平ではその呼び名は使わないと思います。
maker表示がP/Uにあったか記憶にない。 チサトGUITARか、啓陽の当時の社員ではないが(後になっての社員)室岡氏が存じているかも? (チサトGUITAR:元啓陽の方でフジゲン正面右の川沿いにあったが廃業)
*こちらもマニアにはお馴染みのMMKピックアップですがマクソンではなさそうです

(その他ピックアップについて)
林: 松本楽器製造協同組合に横山茂正さんという人がいました。
松楽閉鎖後、今井で葡萄農家を営みながらですがエレコムというP/U、電子回路の会社を立ち上げました。
私は彼にP/Uのいくつかのモデルを作ってもらっていました。
一時期 米国のBASS 製作家 Ken Sumithの回路を作っていました。
手作りP/Uが主で、数物はやっていませんでしたので、知る人ぞ知る人物
彼の情報はほとんどないかもしれません。癌で何年か前に他界されました。
温厚な技術家でした。
話を戻します
土田: 2点止めはグラグラするのでうまくいかないっていうので3点止めにしたのはあった
カバーがオープンのグレコも1970年初期にどんどんギターが出てた時だよね?そのころはエフェクターもやっていて記憶がない
ギターの部署の人 エフェクターの部署の人と別れていて エフェクターも大変だったもんなあ・・・
おばちゃん含めてエフェクターで25~26人いたと思うよ
ギターのピックアップ専門部署は別の場所で配線から全部やっててそっちも15人くらいかなあ
当時のピックアップには0.04 0.05のエナメル線を使った
マクソンのピックアップはカバーの接着に黄色いボンド(G17)で接着していたのが特徴で1970年代の途中でハンダ付けの方法に変わった


(日伸音波製1978-1979 Jaramar(ハラマー)のアセンブリのパーツ)
土田: これはシールドもしっかりやってあるね このころは最盛期じゃないかな?ものすごい勢いでやってた
一か月に1000とか2000とかの本数じゃない? みたことはあるけど作ったことはないな 当時はエフェクターのほうをやってた 丸山正嗣さんか亡くなった上條さんがやってたかも
田村: マグネットは東京磁気から仕入れた ボリュームは最初の頃(VIOLETのDR)とは違うね 松下の特注品はMの刻印がある これは多分全部松下で、標準品はユニクロメッキなんでハンダが乗らないのでスズメッキにしてくれというのとトルクを軽いやつにしてもらった そういう特注品だね 松下にしてみれば結構な数が出てたと思う 中部ナショナル電子部品販売㈱を通して買ってた
コンデンサーはヤマトだね 岡谷の大栄精機 どこかに吸収された
*余談ですが ハラマーの名付け親は神田商会の斉藤氏だったとのことです(アトランシア林氏談)
JARAMARのオリジナルアセンブリ(ピックアップの型番について)
当初は名前がなかったため神田商会の奈良氏が命名したとのこと
初期Grecoのカタログでは(ジャズロックタイプ 高性能ハンバッキングタイプ 高性能スーパーハンバッキング 高感度マイク)などの名称だった
1974年GrecoカタログVol.2からU1000の名前が混在する のちに2000 3000 4000も加わる
2012年に奈良氏にお聞きしたところ、「あれは理由は簡単で、値段の違いをどこで出すか 最初は1000だったんだけど常識的に1000より2000の方が良くないとまずいじゃん? おばちゃんが野沢菜摘みながら巻いてたんだよ そういう風に言ってたのよ」 (松本GUITARS 奈良史樹インタビューより)
*おそらく、オーダーメイドシステムが始まってから長い名前がわかりにくかったと推測します
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(手塚氏インタビュー 2017年取材)
富士弦楽器の牛小屋を改装、二葉技音、のちの日伸音波のルーツを作った人物 1937年生まれ

2012年当時ピックアップについて(初期の富士弦楽器ピックアップについて)
ワイヤーの直径は覚えていません
最初は分解されたGibsonのソリッドギターのピックアップを参考にして作りました
最初は古いマグネティックスピーカーのコイルを外して試作したが、コイルを巻いていると途中で断線してしまい上手くいかなかったので、私は松本市の電気設備の問屋の十字屋に行って、4種類くらいのワイヤーの中から少しだけ太目なものを選んだ
当時はそんなにたくさんの種類はありませんでした
私はGibsonのものを測って選んだのではなく、目で見た感じで選びました
マグネットはフェライトマグネットです
磁石は富士弦楽器が特注でメーカーに手配した
ワイヤーの巻き数はGibsonのピックアップを参考にしたと思うが、おおよそであり同じではないです
このPickupsにはボビンはありません、マグネットに直接巻くと崩れてしまう
ワイヤーを巻くための治具にボビンを試作し、それを注文して製作してもらいました
ピックアップのカバーは梓川という地区の共立製作所で製造した
余談ですが
私はポールピース一個一個に直接ワイヤーを巻くことを考案した。
私は富士弦楽器Iの仕事が終わった後、小さな真空管アンプを作ったことがある
設計は須山氏(後の日伸音波製作所社長)とそのアンプを当時、有名なTV番組の収録に持っていってギタリストに評価を聞いたが 彼は、「これはいい」と言ってアンプを使ってくれました
しかしそれは製品化することはなかった
富士弦楽器製1960’s SEKOVA 世界初?単独コイルピックアップ最後に
私はピックアップの解析と試作をして、コイルを巻いただけなので恥ずかしいです
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MAXONエフェクターの歴史
(田村進ヒストリー)
田村 進 1954年生まれ 松本市出身
米国 THE Vintage Guitar READER’sCHOICE AWARDS 2015 Innoveators 部門にノミネートされ、「世界でもっとも沢山コピーされたエフェクターを作った人物」として殿堂入りした。Tubescreamerのオリジネーターとして世界中に知られるエフェクター界の巨匠 業界の第一人者
松本市の信州大学付属小学校~中学校では、富士弦楽器の横内祐一郎氏の長男 照治氏と同級生、Sugi Guitarsの杉本氏とも同年
それぞれが後の松本のギター産業に大きく関わる
小学校時代、すでに横内家では富士弦楽器で輸出用のギター生産が盛んで、おりしも日本でエレキギターブームが勃発していた時代、横内家の蔵に忍び込んでギターを持ち出して横内家の電蓄につないで遊んでいた悪ガキ達もいた((田村氏も横内祐一郎専務からお説教をうけたそうだが、人格者の横内氏からやさしく諭されたそうだ)
高校時代に電気関係の才能が開花し(1968~1971)すでにその時から図面も読める、設計もできる アルバイト先の会社の人よりも優秀だったらしい
当時はあちこちでアルバイトをして、うな九という鰻屋、矢崎工業では日伸音波のVT板のハンダ付け仕事、東洋通信(後のSONY)のアンプ基盤のアセンブリなどやった
深夜のバイトで塩尻局のクロスバー交換機のラッピング配線もやった
当時のスーパーのアルバイトの4~5倍の時給で 学校では寝ていた 生徒会長室が寝るのによかったらしい
高校卒業後は電話関係の仕事で、一度出張に出ると3か月は旅館住まい 常に夜中の交換の仕事で昼間やることがない生活に嫌気がさして、自宅にいたところにどこから噂を聞き付けたのか、日伸音波の須山さんと大熊さんが自宅に来て、うちで働かないかとスカウトにあう 田村氏の同級生のタカオ君の祖父が大澤商店の大澤慶二社長だった縁だが 日伸音波ではエフェクターをやり始めていて 設計もできる専門家がほしかったのだろうと田村氏は語る

(マクソン/MAXONの語源)
MaximumのMAXとスイッチのOn/OffのOnを合わせてMAX+ON=MAXONとなった
(日伸音波製作所のエフェクターのはじまり)
土田: マクソン(MAXON)のブランドで最初に始めたのは ワウワウとかワウファズだった のちにブースター 1973年ごろ
はじめは穂高通信っていう会社がペダルの筐体の型を持っていて、そこから仕入れて基盤を作ったりしてた
私は製造専門だった
穂高通信がGuyatoneか新映か何かの委託製造をやっていて、その先が倒産してその金型を買ったのか借りたのか・・・筐体をそれでプレスして、プリント基板なんかもそれ すでにあった製品を見てパクったというか
それでも結構な数そんな製品を作っていたからね 相当売れていた


OUTPUTより エフェクターの歴史田村: もともとのアートワークは、そのままかデッドコピーしたかは知らないけど、鉄板をベンディングや深絞りをしたワウとかファズとかの筐体は他社製品そのままだった
マクソンのブランドもあったけどIbanezブランド、バイヤーズブランドがすでにあって、星野楽器のは57番とか58番とかいう型番がついていた 中身は一緒だけど出す商社によってブランドが違ってたね
ピックアップは1981年ごろまでやっていたよ
日伸音波は大糸線を挟んだ両側に建物があって 当時はすごい大きい看板があったね
TAD館長: 私も1980年代に会社がそこにあった時のこと覚えてます 看板もあったかな
田村: もともと入山辺の木下工房の倉庫だったところを借りた 夏は暖房 冬は冷房完備だった(笑)




土田: そのあとのダイキャスト製のはSD5とかダブルサウンドとか ワウとファズが入ったやつ あれは多分、須山さん(専務)が図面を描いて中身の基盤、構想は誰かからもらったか頼んでデザインしてもらったかもしれない
ブルーバーってあったけど、その辺からはクライベイビーをコピーしてダイキャストのケースを起こした
田村: そのあとは小さいブースター MB10 20 30 40 トレブルブースター、ベースブースター、ディストーションがあったんだけど 私はそのあとの1974年に入社した
そのMB10 20 30 40は生産性が悪くルーズハンダとかおきやすいのでプリント基盤のアートワークを直した方がいいよって話をしたら、なら直してと言われてやったのが入社後の最初の仕事だったね
土田: ブースターのデザインは誰がやった? 外注に出したと思う 東京の人 植木さんの紹介で
色々商売やっていて情報が入ってきたから 知り合いにデザインを頼んだんじゃないかな?
そのころやっていたものはギターマイク(ピックアップ)もそうやってデザインしたと思う
初期MAXON(神田商会とマクソン)
土田: 神田商会とはフジゲンさんがやってた関係でエフェクターを持っていったか何かしたんだよ
田村: マクソンなんて新しく始めたものなので知名度がまったくない はじめはそんなの嫌だよという感じみたいだった 小嶋さんがグレコの名前つけるんだったらいいよってことで
エフェクターはまずグレコのブランドを最初出して、そのあとMaxonに「Greco makes it」のエクスプレイン付きのブランドでそのうちマクソンだけのブランドに切り替わった だから一番最初のカタログページなんかグレコのサブタイトルだったよ
最初 小嶋さんからは「エフェクターはおかずみたいなもん」と言われた 皆さんエフェクターはおかずだって捉えてたね「きょうのおかずは何にしようか?」ってキャッチコピーの雑誌広告かカタログがあったよ


Grecoのパーツカタログに掲載されたもの
土田: ブルーバーなんか今故障したらどうするんだろ?ボリュームなんかもうないんじゃない?
田村: 余談だけどブルーバーはクライベイビーのコピーなんだけども 神田商会からクライベイビーと比べると効きが違うという話があって俺が調べたんだよね そしたらクライベイビーのギアの可動角度が300度くらいのところがマクソンのブルーバーのギアの可動量は210度くらいしか回らないの 違いはわかった! じゃあどうするかっていって ギアは金型がもう出来ちゃってるし・・・ボリュームのカーブをBHカーブって言って急にカーブ変化するやつを松下に特注で注文したってのは覚えてる だから今はそれは手に入らないってことになるね
Blubberの語源は動詞のブルーバー(わんわん鳴く)からきている 名詞だと(皮下脂肪 体脂肪)になっちゃうよ






Greco ブルーバー TAD館長所蔵
土田: 夏だったかな? 2週間くらい神田商会の12階のリペアサービスへちょっと行ったことある
沢田さんが入院してた頃 カントリーの斉藤さんもいた 奈良さんはあまり話はしたことないんだけども私から見ると神田商会の大御所って感じの人だったから
リペアサービスに出張で行ったときにビルの一番上でやったことあるんだけど、その時に加田さんってあまり大きい人じゃなかったんだけどギターのリペアをやってた リペアをやり始めて一生懸命やってた頃だったかな
田村: そのあと加田んは富士弦楽器に入ったよ いつ辞めたかわからない
TAD館長: そういえば私が16歳の時に初めて買ったエフェクターがMAXONのD&SⅡとFRANGERでした 松本駅前の「かがり」っていう質屋さんで(今でいうリサイクルショップみたいな) そこは店の半分が楽器で たまたまそこで買ったカメラで試しに撮影した店内にそのエフェクターが写ってます 写ってるPiggyのアンプも買ったな 最初のBOSSも写ってるけど(笑)マクソンの方が安かったんですよ1000円くらい
田村: あの店 ああみえて楽器店扱いだったんだよ だからエフェクターも神田商会が卸したと思う
TAD館長: よく言われていた FenderやGibsonがガラスケースに・・・ってそのとおりでした
1980年ごろの かがり店内 ケース内のMAXONとBOSS TAD館長撮影
(成毛滋について)
椎野氏が1972年ごろ ジャパニーズロックの先駆けだった成毛氏をアドバイザーにグレコのEGを改良し、グレコ旋風を巻き起こしたのは有名なエピソード
土田: 富士弦楽器で試奏したんじゃないかな それは覚えてる ピックアップはマクソンだったけど そういう話は聞いていただけで私は携わってない エフェクターの方だったから
*牛丸氏(*4)がその時に対応していたとお聞きしました 現在も成毛滋のウェブサイトにその時の思い出が掲載されている
1972年ごろ 成毛滋のプロデュースで自身の手のサイズに合ったネックにより演奏性が向上、ライブ会場での弾き比べによりグレコが一気に市場を席捲し在庫が一気になくなる事態に おまけでついた「成毛滋のロックギターレッスン」のソノシート(のちにカセット)の功績もあった
成毛氏は塗装が裏までサンバーストなのは予想しておらず喜んだそうだ(富士弦楽器では裏側を知らなかっただけだった)また裏側にコンターが入っており、通称 成毛モデルと呼ばれるようになる
1971 Greco EG360
(1975年「楽器の本」の記事にその時のエピソード掲載)
成毛氏がはじめてグレコを手にしたのは1971年 九段の科学技術館で行われた楽器フェアで 当時珍しいレスポールのEG360を気に入り「とにかくネックが細く、色は非常にくすんだサンバーストでピックアップも良かった」と 神田商会は\36,000のギターを彼が使うことに少々戸惑って、これがカスタム第一号となり、オーダーメイドギター誕生につながったとのこと 成毛氏のオーダーは ネックは細く ピックアップはフィードバック サスティーンが効果的であること フィンガリングが早くできるフィンガーボードであることで忠実に製作された とある
オーダーメイドシステムについて 牛丸氏「国産のギターでもこれだけのことが出来るのだという事を知ってもらいたかった」と意気込みを語っている


1975楽器の本より 1972年6月17日 厚生棟三階での成毛氏の演奏


1972 ソノシートとカセットの広告
(ピックアップの型番について)
土田: ピックアップの型番は神田商会がつけたんだと思うよ まだピックアップだけでは売ってなかったから
田村: 1970年代 ギターを買うとネックのところにヒモで吊り下げるカタログがあった そこにエフェクターとピックアップも載ってたね 多分1974~1975年くらいからあったと思うよ
*1972年から始まったオーダーメイドシステムのパーツ価格表にはSG用マイク、EG**用マイク EG800用マイク・・・などの表記と写真で 確かに長くてわかりにくいものだった




Greco オーダーメイドシステム
(ピックアップの設計と製造)
土田: ピックアップの設計 仕様 一時、ちょっと太い線を使って巻き数を色々変えてやっていたのは聞いた
ボビンを大きくしていろいろ巻いて中が空洞になるのでシリコンを入れて
試作は社内でやってみて 音を出すけどギターを弾ける人はいなかった 同じ音でポロンポロンってそんな感じ テクニックはないから低い音から高い音に弾いて
オシロスコープなんて高級な機械はそろってなかったから耳で聴いて この巻き数はどうだってやってたんじゃないかな?
真空管のオシロスコープは使っていたかわからないけどあったな
田村:実際それやってたの須山さんだよね?(当時専務)そのころ須山さんと大熊さんと土田さんの3人しかピックアップの面倒見る人いなかったよね?女性のリーダーで 市岡さんとか中野さんが後からやってたのはわかってるけど
土田: ハムバッキングのマイクは西友の前の工場の時に私がやってたなあ 工場が移ってエフェクターやりだしたときにここでやってたのは誰だった?上條さんはかなり後 大熊さんは技術的な事は全く分からない 上條さんの方が専門的じゃないけど話は分かった あの人は須山専務のお姉さんの旦那だったから
今の日伸音波の社屋の前に倉庫があってそこを借りてやってた時に、上條さんと丸山正嗣さんがやってたのは知ってる ごちゃごちゃだったなあ・・
ワウファズも西友の北西側のところで 入り口の狭いところで作ったりして、事務所の部屋に入るところに窓がないスペースがあったんだよ 狭いけれどもしょうがないからそこに台を置いてワウファズを組み立てたりした その事務所の反対側がマイクをつける作業場だったんだよね そこで机を3列あったかなあ・・入って右回りにラインを組んで出てくるときは検査・包装・出荷っていう流れ
そのころは巻き線機はあった 一人2台で 1台で2個セットして巻けたのかなあ 高木さんって女性が巻いていたのは覚えてる もう一人いた赤広さんの二人で 4~5台はあった
田村: あの機械から資料から全部1981年に富士弦楽器に売却 1979年くらいの話して移管するまでに2~3年かかった その間は結構牛丸さん(注4)とか来てた その他ワイヤレスにミキサーにアンプいろいろやった
(*4)元フジゲン 牛丸氏 プロフィール
松本工業高等学校卒 八陽光学で図面を製作 牛山氏の誘いで1965年9月に富士弦楽器に入社(当時20歳)研究開発室に配属 1970年代は特にグレコ躍進のきっかけとなった成毛氏とのEG開発試作 MR、GRなど数々の試作に携わる 1981年 第四製造課課長としてピックアップ関係の開発に関わる
松本GUITARS「フジゲン創世記」参照


(ボビンの成形)
土田: ピックアップにパラフィンの含侵をやったのは日伸音波になってギターマイクを始めたころじゃないかなあ
昔のピックアップはハウリングが起きていけなかった
マイク作るのに歩留まりがすごく悪かった コイルの中にポールピース入れる時にちょっと触るとコイルが切れちゃったり テスターで測っても導通がないとか
田村: エポキシもやったんじゃない? ポールピースが見えないやつ
土田: いろいろやったと思う エポキシだと修理ができない まあシリコンでもほとんど修理できないんだけどね
パラフィンもボビンを作った材質によって漬けておくと樹脂が溶けてゆがんじゃってボビンがダメになるし
いろいろやったみたい 材質を変えると収縮率が違って元の成形の型も変えなきゃいけないので大変だったみたい
田村: そのプラスチック部品はどこから仕入れた?
土田: 最初はね SK サンヨー化成 SKボビンって言ってた二葉技音の頃 後になって名古屋の林商会 型も作ってもらっていたよ1970年代は
田村: 安曇野でも作ってたねこういうの 親戚のなんとかケイコさんって女性が日伸音波に来てた 梓川の
どこかにいて独立してやってた エフェクター部品の図面を描いて持っていったら こんな部品出来ないって言われたけど、金型がスライドで三方開きになるそれでやってよって頼んだ
土田: ボビンだって型作るのは大変だったんじゃない?真ん中穴空いてるから 2方向じゃなくて3方向でなきゃできないと思う
田村: 一時はそこでやってたけどスライド型ってとこではできないので結局、名古屋のクイーンライトに出してた そこではなんでもバンバンできた エフェクターのツマミとかね
(日本の銅線とアメリカの銅線の違い)
土田: コイルの銅線は 最初の頃は東京特殊電線(トートク) 上田に工場があって 最初はそこ
田村: 日本の銅線は純度が99.99パーセントくらいで、ギブソンとかディマジオとかと同じ音が欲しいと神田商会か星野楽器から言われてやったんだけど、純度が高いとテンションかけたときに伸びてしまう
で、細くなって音が変わる あの時はアメリカの銅線は不純物があって純度が98パーセントくらいしかなくて硬かった それで音が違うと言われて、それでカナダかアメリカの純度の低い向こうで使っているのと同じのを使って巻いた それがZ-DRYなのか誰のまでは間接的でわからないけど、部分的な事は聞いて知ってる
なんで知ってるかというと部分的にはやった このPOTは松下に仕様書を出したとか やってよわれて自分でやったのはね 銅線も自分で伸びた径とかマイクロメーターで測ったと思うんだよね それで覚えてる で、その銅線じゃないといけないと 1980年くらいかその辺じゃないかなあ
土田: 数とかはわからないけどカスタムメイドに近かったんじゃないかなあ 沢山作ってないと思うな ロットで何十個か何百個とか
(1974年当時の測定器)
田村: 入った時には まだ測定器はオシロスコープとオシレーターしかなかった
フェイズシフターを一番最初にやったんだけど その時にFETのバラつきが大きくそのまま実装せずに特性の選別とかやったんだよね 手で選別なんてできなかったから目黒電波計測の周波数を直視できる測定器を買ったんだよ 当時で何十万円で高かった
その測定器でピックアップの特性が測れたんだよ 一瞬で で、やっぱり国産の銅線と輸入のディマジオか何かと比べると同じ巻き数同じ径でやってもピークのところが違っていた それは線が伸びているか伸びていないかの関係だと あと抵抗値も違う
真空管岩崎通信機かどこかの真空管のでかいブラウン管が付いたオシロスコープ 100万くらいしたんじゃない?今なら300万
フェイズシフターって波形見ないとわからないからね 耳で聴くのは難しい ドップラー効果のレスリースピーカーみたいな効果を作るやつ
エフェクターのデザインは 北川デザインの北川さん 今ご健在ならかなりのご年配のはず ネット検索しても別物ばかりなのでどうなったか・・・
(田村氏が最初に手掛けたエフェクター)


田村: 入社して最初に作ったのはPT-999(PHASE TONE)
当時MXRはカナダのハモンドというエンクロージャーメーカーの市販エンクロージャーを採用していて、他のエレハモやミュートロンのペダルメーカーはその10倍以上もある大きなエンクロージャーだった
Ibanezの筐体はハモンドと同じようなエンクロージャーを採用すると市場でコピーと言われそうだったのでスラントのエンクロージャーにしたんじゃないかな
私個人的にはエレハモやミュートロンのくそデカいpedalがコンパクトなMXRエンクロージャーに収まっていることに感動した
当時、MXRは始まったばかりの零細企業でエンクロージャーのダイキャスト金型も起こせなかったし
米国/カナダでの販売で、日本に入ってくるまでに4~5年かかった
MXRが日本に入って来た時は東京の零細輸入業者が極僅かな数量しか扱っていなかった
だから、日本ではMXRを知る人はいなかった。まあ、米国でライブ演奏をするミュージシャンくらいしか知っていなかったね
ハモンドのエンクロージャーってもともと家庭用のコンセントBOXなんだよ 日本では埋め込みだけど それを流用してた 穴は後から開けられるしね
日伸音波は大体同じ寸法だけど 日本とはインチとミリで規格が違うし ダイキャストの型を起こして400万くらいかかった 大卒の初任給が5万円くらいだった時代 私が図面描いて信越鋲螺に出してそこからメーカーと打ち合わせして 1ロットで3000個とかだったね 鋳造だと最初何十個もダメになるし
Ibanezの型も図面描いた 星野楽器の岡田さんがなんかいい形がないかってことで
PT-999は結構苦労した よくTS-808の苦労したのは何かって聞かれるんだけどそんなに苦労してない
PT-999の何が苦労したかというと 東芝のチップの決まった規格のを使うんだけど実際フェイザーとして使うにはばらつきが大きすぎて選別してからでないと使えない ばらつきを計測して色を付けて分類して一握りのやつを使う 外れたのは違うものに使ってた それくらい音が違ってクレームになる
あとから聞いたけどMXRの設計に携わってた人が星野のR&Dに入って聞いたのは MXRのフェイザーもそのばらつきでクレームになってかなりの数を後から検品したらしい
あと ネットに書かれていたらしけど私が入社した1974年の11月で発売までの1か月でPT-999が作れるはずがないとか あれは会社が社会保険かけはじめた期間で 昔でいう試用期間みたいなことでもっと前から働いていたんだよ


(名機 TUBE SCREAMER誕生)
田村:当時のエフェクターのチューブスクリーマーTS808 マクソンで作ったやつ 1981年1982年のやつあれ今いくらくらいすると思います? 当時8600円か9200円のが25万だって!
当時はファズとディストーションしかなかったんですよ マクソンだとD&Sのファズ、D&SⅡのディストーションの2機種だった
星野楽器は仕入れ担当者が岡田さんって人でオーバードライブがなぜか好きで ファズもオーバードライブって名前にして売ってた Ibanez OD-850とか D&SⅡはOD-855って言って出した で、次にファズって耳障りだから、もっとちゃんとしたのないかな?ってオーバードライブの話が出て
当時1年か2年でモノが変わってたんで星野がオーバードライブ3だと紛らわしいからって それで星野楽器も俺もアメリカに行って、何かいい名前がないかって探したときに そのころGA10って1Wの練習用の小さなアンプがあった それをNYのサム・アッシュに(西のギターセンター東のサムアッシュと言われる小売チェーン店)持って行ったときにジェリーさんの息子さんのサミーが お前クライベイビーって知ってるか?赤ちゃんが泣くような声が出るんだろ?ってそれをマーシャルか何かにつないだんだよ で、これはチューブがスクリームしてると チューブスクリーマーだって言ってたのを控えておいて3つ目のオーバードライブの名前に付けたのがチューブスクリーマーの始まり
中身はマクソンのOD808で中身は一緒 だから当時のはダイキャストにマクソンと入っている プリント基板にも そういう感じ
その前にOD-880ってのがあったんだよ OD-808(TS808)のコンセプトは耳障りな音は嫌だってこと
それをもって国内国外に行ったけど なんだ この歪まないディストーション!って 使い物にならないと言われてあまり売れなかったけどスティービー・レイ・ヴォーンが使いだしてそれから有名になってみんな使いだした
だからチューブスクリーマーは一時カタログから落ちたんだよ あれ、レイヴォーンにあげたんじゃなくて本人かギターテックが買ったんだよ で、レイヴォーンが使いだしてからみんなが使って1985年に星野が復活させたんだよ それから今に至るって感じ

(良い音のエフェクター倍音成分について)
土田 入力側をオーバーに入れると歪んじゃう そこから来てると思ってた
田村 ブースター的にゲインを上げてやってそこでも歪むんだけども 特にフェンダーのチューブアンプにでかい入力を入れてやるとプリアンプのところで歪むと それの倍音特性を調べると2倍3倍4倍5倍 正数倍の倍音がうまく出るのよ でファズとかディストーションは奇数倍しか出ないんだよ 自然界にある音はだいたいピアノを例にすると正数倍がだんだんレベルが6デシベルくらい下がる 人間のみに似うまく聞こえるのは正数倍の音でファズとかは奇数倍の音しか出ないので耳障り ギターも倍音はそれなりに出ているんだけどもいい悪いはその辺で変わる YAMAHAの人に聞いたんだけど7倍音の構成がどうかでいいピアノかどうか決まりますって話をしてた ピアノって弦をたたいてるじゃん なので正数倍の倍音が7倍もっと出るけどチェンバロはひっかくんだよね なので倍音構成が異なる あと三味線 バチで弦をたたくじゃん それなんで倍音構成が異なるよね バイオリンとかチェロは弾いているからいいけど ちょっと違うんだよ 周波数と音量と音色があって、音色はどれだけどういうふうに倍音が含まれているのかによって変わる
土田: エフェクターで狙った倍音って出せる?
田村: 出せる
日伸音波を辞めてからだけど 世の中には音の良いチューブスクリーマーと音の悪いチューブスクリーマーがあると言われて 工業製品だから±何デシベルに収まってるでしょ?特性入ってるでしょ?と思った で、1年半くらいかかって調べて これは倍音が違うんだろうとわかった
例えばオペアンプをJRCのを買ってると、NECがうちにも互換品のがあるんで買ってくださいよと それでJRCが20円だったら15円でいいから半分でも買ってくれって営業してくる 製造も複数社購買した方がリスクが少ないんで3000 3000 3000個って3社くらいに発注してある ダイオードも東芝、松下もOKだって技術がOK出す コンデンサーも同じく 集まった資材を外注の基盤屋に出すと、どの部品が出て行くかわかんない それで、あるメーカーの部品の組み合わせが一番いい音がするってのがわかった その時にシンコーミュージックがTS総会ってのをやって30人ぐらい集まってブラインドテストをやってこれがいいってのが出てきた その時に電話で話をしたけど その時に送ってもらったのがまさしくその通りだった 良くなるってわかってそういう部品を使うと倍音構成が違う
近年はその部品を交換するのがメインでモディファイをしてた 70歳になるとさすがに朝6時から0時までやらないといけないんだよ なのでモディファイをやめて請負の設計仕事をしようと 去年1社で500台以上やったからね 半年くらいかかる 今年は200台程度に絞ってます

今は日伸音波の技術部門は誰もいない でもOD808 OD9 SD9だけ作ってる やめて12年になるけど俺がいたときに作ってたやつ ワイヤレスマイクは電波法が変わっちゃって終わり サムアッシュのサムソンがつぶれちまって サムアッシュの子会社がサムソンで サムアッシュのブランドがついたやつはギターセンターは売りたくないわけよ、ギターセンターでも売るためにサムソンのブランドを立ち上げて売ってたけど
エフェクターより金額が多いわ アメリカはすげーよ 3000台とか5000台とかだった
会社にトラック横付けとか外注先とかにもトラックが来て横付けで積んでそのまま港に持ってく 昔はよくこんなに売るなあと思ったね 誰がこんなに使うんだろ?と
2015年当時の社内















高中正義の足元に注目





MAXON使用ミュージシャン
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その他 調査資料
(マクソンのピックアップ マグネットについて)
アルニコピックアップにはアルニコ3アルニコ5、アルニコ8を使用
セラミックピックアップには、Ferritic2とFerritic3.2を使用
*アルニコとフェライトの違いは一目瞭然だがアルニコがどのタイプかの判別は専門機関でないと不可能です
(マクソン/Greco ピックアップの仕様について)
U-1000 フェライトマグネット 4800T
U-2000 アルニコ5 5000T
U-3000 U-4000 アレンビックのマグネット(アルニコ8と思われる)巻き数不明
(マクソンのピックアップ シリアルナンバーについて)
①1977年までの製造番号は5桁のコードで構成
使用期間:~1977年まで
製造コード:ABCDD
A:製造ラインコード 1~3
B:製造年 1974は4
C:製造月、1 = 1月... 9 = 9月、0(ゼロ)= 10月、X = 11月、・(ドット)= 12月
DD:製造日 01〜31
②1977年以降のの製造番号は6桁のコードで構成
使用期間:1977年頃~。5桁から6桁への移行過渡期で③との混在期間もあった。
製造番号:ABCCDD
A:製造ラインコード 1~3
B:製造年 1977は7
CC:製造月、01 = 1月... 09 = 9月、10 = 10月、11 = 11月、12
= 12月。
DD:製造日 01〜31
③1982年まの製造番号は6桁のコードで構成
使用期間:~1982年頃。
シリアル番号:AABBCC
AA:製造年 1978は78 西暦年下二桁
BB:製造月、01 = 1月... 09 = 9月、10 = 10月、11 = 11月、12
= 12月。
CC:製造日 01〜31
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U-1000
(Grecoのカタログにみるピックアップ:ハムバッキングのみ マクソン フジゲン製含む)
グレコのカタログでは1974Vol.1ではまだピックアップには型番がなく、高性能スーパーハンバッキング、オリジナルスーパーハンバッキング、高性能オリジナルハンバッキング 高性能ハンバッキングの記載(どれがどれやら・・)
*1973年以前の記載の「ジャズロックタイプ」はU-1000と推測します
「オリジナル~または高性能~」の記載=U-1000、「高性能スーパーハンバッキング」=U-2000と推測
*1974Vol.2からピックアップに型名が記載される (U-1000 上位モデルはU-2000)
*1975-1976Vol.4からU-3000が登場(EG700以上、MR1000)
*1975 SPECIAL ISSUEにU―3000ピックアップの解説「アメリカアレンビック社製セラミックマグネット使用のハンバッキングピックアップ」と記載(EG1000) 「U-3000ピックアップは市販のピックアップの1.5倍もの出力を持つ驚くべきピックアップです」
*1975Vol.5からU-4000登場(EG1500,EG1200 のちのプロジェクトシリーズ)
*1976年2月MUSIC LIFE広告GRECO NEWS「グレコのハムバッキングピックアップをご存じですか。グレコには3種類の音質が異なるハムバッキングピックアップがあります。U-3000/ウルトラパワーを持ち、かつクリアーなサウンドでハムバッキングピックアップでありながら歯切れよさがある。 U-2000/ハムバッキングピックアップらしいね狩りのある音質とウルトラパワー、温かみのあるサウンドを持っている。 U-1000/くせのないハムバッキングピックアップ、高音部が良く抜けサスティーン効果が抜群。などそれぞれ特徴のあるピックアップです。U-3000は10万円台のギターに、U-2000は7万~9万円台のギターに U-1000はそれ以下のギブソンタイプのギターについており、U-3000は15000円、U-2000は12000円 U-1000は10000円で別売りもしています。全国のグレコスペシャルエージェント店で扱っています。」
*1976年9月MUSIC LIFEグレコのニュース 「U-4000 ニュータイプのハムバッキングです。写真のようにカバーを取ったものの他にゴールドプレイト、シルバープレイトのU4000もあります。最大の特徴はウルトラパワーとクリアーな音質で、ノイズが非常に少ない点です。カバーを取ったU4000は磁界を広げ可聴範囲内の周波をすべてピックアップし、そのサウンドはヘヴィです。別売り価格は1ケ¥18000です」の説明あり
*1976-1977 THE GRECO MANUALのプロジェクトシリーズにU-4000搭載(EG1200以上、SA900)
*1976 Parts
& Order MadeにU1000,U2000,U3000,U4000 その他各種ピックアップ記載
*1978年以降から徐々にU搭載機種が減っていき同時にコピーモデルからオリジナルモデルへの移行進む
*1980 REPLACEMENT PARTSカタログからU-3000、U-4000は型落ち 代わりにDRY(スーパーリアル)が登場 価格¥20,000-
GOシリーズに搭載されたカバードタイプ PU-3D(外見はIbanez Super88に同じ)発表時、GO1400プロトのみ穴なしで他のグレードはポールピースが出ている
*1979 PU-3DSに改良 片側ポールピースをバータイプとし4900T×2 シングル時に4900T+1900Tとなり出力低下を防いでいる(GO-900に搭載)
*1980 ULTRA MODERNカタログからDRY搭載機 EGF1200 記載
*1980Vol.11 EG1000CのみDRY搭載(スタンダードのEGF1000 EG900はDimarzio
PAF)
*1980Vol.12 EGF1800にDRY搭載
*1981Vol.13 EGF1800 EGF1200 EG1000,SA1200にDRY搭載の解説 「リアルなサウンドの表現、これを可能にしたのがこのDRY(ドライ)ピックアップ。U.S.A.コイルと高級マグネットのマッチングは、まさにピックアップのスーパーエリートといえる確かな響きを持ったナチュラルトーンのドライ・サウンド」
*1982Mint CollectionにはDRY,DOUBLE TRICK, THE
GROOVE, SCREAMIN, HOT LICKの周波数特性が掲載されている
その後1987年のカタログにもDRYは掲載されているがEMGタイプ おそらくそこに至るまでの経過で諸々の仕様変更がある可能性がある(Z-DRYはUSA銅線の在庫がなくなってフジゲン側が銅線を国産に変更したためインチ-ミリ規格の違いもあり音が変わったという話がある)
(Greco DRY Z-DRYについて)
マニア垂涎のピックアップ Greco DRY Z-DRYについて当時開発に関わった廣田氏(注5)にあらためてお聞きしてみた
(注5)廣田氏(1979年 富士弦楽器入社 技術開発部にてGOシリーズ、Boogieの開発 ピックアップ開発など)
松本GUITARS「フジゲン70年代の軌跡」を参照
廣田: DRYの試作品は私がコイルを巻いて高野さんがチェックをしました 「コイルの真ん中が膨らむように巻きなさい」ということだったような気がします
DRY、D-DRYはフジゲンで作ったかな Zスタンプを押したような覚えがありますね
後日、元フジゲン取締役で当時製造部長の中田氏に聞いてみたところ、試作まではフジゲンで、製造は日伸音波だったねと仰っています
フジゲン
(Grecoカタログ 1968~1987 抜粋)

1968

1971椎野氏監修

1972奈良氏監修

1974 1975

1975 1976

1976グレコのニュース

パーツカタログ

1977グレコマニュアル

1978




1979
1980パーツカタログ



1980スーパーリアルシリーズ



1981

1982


1987
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(Ibanezのピックアップについて)
1970年代~1980年ごろ グレコ(富士弦楽器:神田商会)とIbanez(星野楽器)は親戚のようなブランドだった 当初は国内向けを神田商会 海外向けを星野楽器が販売を担っており、共通のモデルが多くみられた
Ibanez(星野楽器)にも当然マクソンのピックアップが使われてきたが、富士弦楽器同様に線引きがあまりはっきりしない
1970年代中期あたりまでのGrecoとIbanez(旧ロゴ期)はカタログでも同一のモデルが多数あり、同じマクソン製ピックアップのままだったと推測される
後期からオリジナルモデルが主流となって、 ピックアップもIbanez専用になっていくが、スペックはカタログ表記以外はあまり知られていない
(カタログに見るIbanezのピックアップ:ハムバッキングのみ)
*1970年代初期はグレコ同様に名前はなく Powerful Pickup と Chrome Plate pickup
*1973年 Humbucking と Hi-Power(グレコのセミオープンに同じ)
*1974年Humbucking と Hi-Power(グレコのセミオープンに同じ) Super Humbucking
No.2405にIBANEZ-ARTIST No.2391にClear-Power
No.2611~2614にSuper Power Humbucking pickup
*1976年 Super
70 カバードとセミオープンの2種
*1976年のパーツカタログに興味深い記載があり グレコでも初期のLPタイプに搭載されたマクソンピックアップ クロームでポールピースがマイナスネジタイプと セミオープンの四角ポールピースタイプ(Grecoジャズロックタイプ)がHUMBUCKING60’として掲載されている スーパー70との差別化のため60年代としたのだろう
*1977年 Super80 Super88が登場 Super88はグレコGO1400プロトに搭載PU-3Dと同一の意匠 (グレコの1977年カタログにGOは未掲載 1978年の本カタログでも未掲載で同年のNEW GUITARSとして大判のカタログで発表された つまり1年のタイムラグがあったことからピックアップは星野サイドの設計だったと思われる のちの証言からピックアップカバーは共同開発と判明)
最初はポールピースが出ない仕様だったがすぐ改良された(グレコPU-3Dも同様で1978年のGO1400プロトのみであとはポールピースが出る仕様だった)
*1978年 Super77がラインナップ
*1980年 Super58がラインナップ(AR500 AR112 AR1200)AR系高級機種に搭載 今までは新たな年号に向けた名称だったがここで原点回帰と思われる年号の名称になる(Gibson PAFか)
*1981年 Super58 AR3000 AR5000に搭載




1974 1975



1976






1977
1980
1982 Super58
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エルガーにて 中央加藤氏
1970年代から星野楽器開発部にて数々の製品に関わられたFritz加藤氏にマクソンのIbanezピックアップについてお聞きしてみました
加藤二三雄プロフィール 1948年生まれ
1967年以入社 出荷 多摩製作所のドラムの胴の製作手助け ギター工場の製造の手助けをしていました
1972年8月から1973年1月までElger
Company第一陣のメンバーとして赴任(第二陣は安藤君、第三人は宮原君でした)その後クリスマス時期になると助っ人で何度も足を運びました
25歳(1973)の時に星野楽器としては初めての開発部が発足し、担当となりました 開発部と言っても私一人でしたが・・・
そのころからフジゲンさん等々に対して製造のお願いをする下地ができたと思います
当時 豊科テスコ(テスコ弦楽器) 木曽福島の鈴木バイオリン 名古屋市山王の岡本楽器などの取引先があったように記憶しています
当時はまだドラフターで描いており、のちに多摩製作所の方でCADの勉強をさせてもらい星野楽器でも導入しました
47歳で退職するまで開発を引っ張ってきました Starfield以外は私が全て担当 すべてのIbanez EI.Guitarの企画開発に携わりました USAからのいろいろな情報を社内外で打ち合わせ 条項を決めて具現化 ペグ、ブリッジに至るあらゆるパーツも日興精機、後藤ガット、信越鋲螺、フジゲンなどとともに仕事をすすめました
デザインなど私一人でやっていたわけではありません 最終的に私が図面化したりしました
後藤ガットの専務とは苦しい中でともに一つの目標に向かって走っておりました こうした外の力も大きな戦力でした
*Elger Company :Philadelphia Ardmore Lancer Av.にあった小売店
社長はHarry Rosembloom氏 そこを拠点としてUSAでの本格的事業がはじまる(Elgerの名前の由来は娘と息子の名前を合わせて名付けられた)
Ardmore 102,Cricket Av.の事務所兼倉庫の準備がメイン(現在も当時の建物がそのまま残っている) Elgerは卸業が中心で 修理 検品後の出荷が主な事業 後にWinchester Rd.に移る
1981年 HOSHINO
INC.に改名



加藤: ピックアップの開発はIbanezのフジゲン→日信音波→星野楽器→Hoshino USAとの間で進めており私も関わっていました あの当時は牛丸さんがフジゲンの窓口だったかもしれません
(当時の加藤氏手記によると)
*1975年9月 「(新しいピックアップ・アルニコ8) このピックアップはSuper70’という名がついた
マグネットの他、コイルの巻き数は今までと同一となっている」
「U-3000との比較では、U-3000は出力が高く音質は硬めでストレートな感じ」
「Super 70’はGibsonのような少し甘い音がする Super 70’の方がいい」 と評価している
(U1000ベースなら4800T、U2000ベースなら5000Tということか?)時期的にグレコU3000 U4000とも重なり、アルニコ8というところが類似している 比較テストをしていることから双方には何らかの違いはあるかもしれない
*1977年11月 「Super88、Super77のポールピースを外に出した改良検討
Super88ピックアップの改良について ストレートヨーク付き、ポールピースをカバーから出したタイプ、アジャスタブルポールピースの3つの案で試作し、アジャスタブルタイプで進んだ
星野の試作では「従来のSuper88よりもパワフルでクリーン」との評価」
この時期にGreco PU-3Dにも同じカバーが採用されたと推測(ごく初期プロトのみ穴なし 他は穴あり)
*1978年2月Super88 「ポールピースを上から打ち込むタイプだとボビンの穴を大きくしていないと入らない恐れあり 音的に問題あるといけないのでSuper90に使用のNyボビンも試作 Super77も同様にポールピースを出す」
*1978年3月 Super88 「コイルはすべて日本製で 現行Super70ボビンで4800T 1種 Super90ボビンで4800T と4600Tの2種を試作」
Super77 「現行Super70ボビンで4800T Super90ボビンで4800T と4600T試作」
*1978年8月 「Super88フィードバック改良 レギュラー仕様 06-4800T 3pcsセラミックマグネット」
改良型 「06-4800T ビッグセラミックとマグネット」 つまりマグネットが3pc→1pcになった
星野のチェックでVolume4.5でフィードバックするところ7まで上げられた




当時の文書
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(MAXONカタログギャラリー)
1970年代~1990年代のマクソン エフェクター その他デバイスのカタログです
全ページは掲載しきれないため一部を除き表紙のみ


















































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2025 9/16
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